新しい強さを携えて生きていくために

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不幸にも地震や津波によって多くの命や財産が失われました。昨日と同じ様な明日が二度と来なくなってしまったあの災難にはただただ、呆然と立ち尽くすしか無いのです。人間は幾ばくかの備えは出来ても、不運と隣合わせにかけがえのない命をさらして日々過ごしています。

本当はこのような不幸に巡りあわなくとも、たまたま幸運に仙台市にいながら多少の生活の不便を感じるくらいで準被災者とでも言うべき境遇で生きながらえた一人の人間として、この震災を機に感じることはいくつかありました。重ねて、このような不幸に巡りあわなくとも、気づくべきことを、日々の怠慢によって放置しておいたいくつかの事に気付かされたのがこの20代の若い時期で良かったと、幸運に思いでもしなくてはいけないと考えています。

もし今後生きている将来、天変地異や社会の変革が起こったとして、その時おそらく自分は無力であろうことは分かりきっています。それでも私には自分の命を守り、自分の命をつなぐアイディアを携え、また、手の届く自分の関わりあいの中にいる家族や友人や知人を守る術を身につけておかなくてはいけないという使命があるのだと思います。

そのような強さを持ち合わせるために、やはりこれまでのような考え方ではいけないのではないかとおぼろげながら感じています。3/10までの世界を取り戻すことを「復興」と呼び、それを第一義の目的とするうちには、本当の意味での復興は成し遂げられないのではないかと考えています。

必ずしも3/10までの「ふつう」を取り戻さなくても良いのではないでしょうか。それまで「ふつう」と思っていた世の中はたった一瞬の地震と津波によって一気に無効にされてしまいました。そのような世の中を取り戻したとき、また近い将来起こるであろうと約束される悲しみを、我々はまたただ呆然と立ち尽くして見届けるしかないのでしょうか。ただ以前の「ふつう」を取り戻すためだけにすべての力や知恵が注がれるのだとしたら、今回の被害に遭遇した人々の悲しみという代償はあまりにも大きすぎます。

改めて、2011年3月11日以降の新しい「ふつう」を、一人ひとりが考えて行動していかなくてはいけないと思います。その一人の考えの変化や行動が即座に社会に変革を起こすことはありえないかも知れませんが、自分や大切な人を守る、強い自分を作る糧となると信じています。

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