3月11日の震災から1週間が経過しました。震災後の翌週は、僕の勤務する会社は自宅待機の指示となり、この週末が初めての震災後の休日ということになります。仙台市中心部ではほとんどの地域で電気、水道が回復しましたが、都市ガスは依然復旧の目処がたっていません。市街地の美容・理容室ではシャンプーのサービス(無料・有料どちらも有り)や、公衆浴場が市民の風呂代わりとして機能し始めています。しかし概ねシャンプーは1,000円位が多いので殆どの人は水で髪を洗ったり、洗うのを我慢するなどして過ごしているのではないかと思われます。
コンビニはどこに行っても閉まっているし、スーパーもたいていは品薄の状態ですが、次第に品揃えは回復してきたような印象です。国分町などの飲食店がひしめく地域では外食も出来るようになり、市街地に住む人達は不要な買いだめをするよりも、店で食事をしながら友人などと情報交換をするのも一つの有効な機会なのではないかと思います。
本屋やカフェなども一部オープンし始め、市街地では都市機能を少しずつ、部分的にではありますが回復しつつあります。元気な地域ではいつまでも被災地ぶっているヒマはありません。一刻も早く元気な仙台の姿を取り戻すべく、皆がそれぞれに出来ることに取り組むべきではないでしょうか。
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震災から1週間、仙台では暑さ以外の全ての風景を見せられてきたような日々でした。
1.大きな揺れの直後、避難のために一時外へ出た瞬間、突如の大雪
2.まもなく晴れ渡り、停電のまま迎えた夜には不思議なほどに美しい星空
3.土日は雲ひとつ無い好天。月曜は15℃超の暖かい日中
4.冬から春への移り変わりを感じさせるしとしととしずかな雨
5.この冬一番ではないかと思われるほどの大雪、そして積雪
6.晴れ渡った青空に通り雨、そして瓦礫を吹き飛ばさんばかりの強風
この間の沿岸部の日々は想像を絶する過酷さだったでしょう。この非情な天候の変化に命を左右された場面も多くあったはずです。そのような状況を前に何も出来ずにいる自分を、同じ宮城県、仙台市にいながら、もどかしく、情けなく感じることが多々ありました。それでも、我々”準被災者”とでも言うべき人達にとっては、一部のプロとしての職能を果たせる者以外にはなすすべもなく、とにかく自分の健康を守り、自分の安否を心配する人達を安心させ、いつも通りの生活を一日でも早く取り戻すべく、可能な限りの「普通の生活」を過ごすしかないのです。
自分がこの地域のためになすべきことはそれぞれに確かあるでしょう。そしてそれは必ずしも震災直後や1週間後にすべきことではないかも知れないのです。それぞれの職能によって、1ヶ月後、1年後に、または数年後に貢献できることがあるでしょう。それが社会におけるそれぞれの役割なのではないかと思います。すぐにでも誰かの役に立ちたいと思う気持ちは須らく尊いものであると思います。しかしそのような感情は常に発せられるべきものであって、この異常事態に急に思いつくようなものであったとしたら、役に立たないでしょう。もしそのような感情をいだき、自分の無力さに気づいたなら、その瞬間から来たる未来の自分の社会との関わりを想像し、その道筋を一つずつ、描いていくべきなのではないでしょうか。